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高木貞治『数の概念』初版[新字新かな],序

本文書は高木貞治『數の槪念』(昭和24年, 岩波書店)を新字・新かなに変更し、一部漢字からひらがなへ記述を変更して入力したものである。
底本は第10刷(昭和33年2月15日発行)である



うちの娘などは、大学で理科を卒業したのだけれども、xy=yxなど、どうしてそうなるのだか、よくわかっていないようだ。このように、エドムンド・ランダウは、その著「解析の基礎」の中に述べている。こうしたことは、うちの娘たちに限るまいから、一般読者のために、解析の基礎として、数の概念を、根本から、論理的に無欠陥なる体系として、展開して見せようというであろう。

デデキンドはその名著「連続性と無理数」以前には、 \sqrt{2} \cdot \sqrt{3}=\sqrt{6} など、未だかつて正確に証明されたことがないことを協調するあまり、論理的訓練を主眼とする数学教育において、このような問題が等閑に付せられることを痛烈に非難した。

今日、xy=yxにしても、 \sqrt{2} \cdot \sqrt{3}=\sqrt{6} にしても、周知であろうが、それが何故に然るか、またいかにして、それが証明されるか、ということになると、話は別である。しかし、解析学を学ぶものは、いつか一度は、根本に立ち戻って、数学知識の再検討をしてみる必要のあることは、言うまでもあるまい。そうして、その時第一に遭遇するのは、数とは何ぞやという問題であろう。しかもこれは一般的教養としても、特に哲学的傾向を有する人々の関心をひくべき問題である。此の問題を平易周到に解説することが、この小冊子の目標である。

本書第一章では整数を論ずる。従来慣行のように、無理数だけを切り離して、それを数の概念の基盤とするよりも、むしろ直に正負の整数を一括して考察することが、必ずしも不自然でなく、数学的には、むしろ簡明であると、我々は考えた、すなわち整数を一対一の自己対応を許す不可分なる一体系として規定するのである。この公理を解析して、整数の体系の二種の場合に透徹する。そのひとつは、両方面にわたって限界を有せざる無限列で、それが通常の意味の正負の整数にほかならない。また他のひとつは、環状に配列された有限集合である。このように、有限と無限(可付番の無限)とが、同一の根源から派生することに、我々は興味を感じるのである。

数学上の概念はすべて抽象的であるが、整数ももちろんその例に漏れない。前に言った整数の体系の内の一対一の対応は、各整数にその直後の整数を対応せしめるとき、各整数はその直前の整数に対応することを背景として、それを公理として立てたのであるが、我々はその対応を抽象的に考察するのであって、直前・直後というような具体的の意味はまったく抜き去るのである。だから、我々の整数は、物の数でもなく、物の順序を示すものでもない。しかし、物の数を示すためにも、物の順序を示すためにも、なお一般に、物の標識(符牒)としても用いられる。0は加法の規準として、我々が任意に整数の体系の中から取り出したひとつの整数である。それは、無を示すものではない。整数を計量に応用するならば、我々の鼻がひとつ・目がふたつであることが、整数1,2 で表現されるのが便利であろうが、それは言語の習慣に過ぎない。事実は、我々が常用の言語に順応して、我々の記号0,1,2 を零、一、二と呼ぶことにしたのである。以上抽象的なる数学理論に慣れ
ない読者のために、蛇足を添えた。

思想上の根源に関しては、有理数を実数の一部として取り扱うことにして、第二章では、有理数の理論を、既に完成された論理的構造として解説した。それは解析教程などで慣用の解説法の一範例を示すためである。時計を用いるものは、時計の機構を知らなくても、時刻を見ることさえできれば、事足りるといった行き方である。

第三章においては、実数を論ずる。実数は、古来、加法を許す順序集合として、直線上の点の集合を模型として、ひたすら直感に依頼して考察されたが、十九世紀の後半に至って、批判数学の発展の後、連続性の本質が解明されて、はじめて論理的の根拠を獲得したのである。連続性の概念に関して、直線とその直線上の点の集合とが、同一視せられるかに見えることを、常識が反撥すること、古今同揆である。実際、直線は、その点の集合ではあるまい。しかし、直線上の点の集合は、その直線のひとつの特徴であって、両者の間に、一対一の対応が成り立つから、両者の差別は、数学上の運用には、かかわりないこととして、我々はそれに頓着しないのである。それに頓着しないところに、実数論の本質があるというのが、むしろ肯綮に中る(こうけいにあたる)のではあるまいか。

それとは別に、連続性は順序のひとつの様相として、無際涯ともいうべき潜在的可能性を包含する。それゆえ連続集合の中において、実数の体系を限定するには、特別なる制約を要する。直線の長さを模型推して実数を考えるとき、加法の可能性は、自然的なる制約であろうが、もしも時間を模型とするならば、加法は甚だ作為的(conventional)といわねばなるまい。この欠点を救うものが、カントルの条件である。すなわち、実数の体系を、可付番なる部分集合が、その中に稠密に分布され得る連続集合として規定するのである。連続集合に関しては、加法の可能性も、可付番部分集合の稠密分布も、効果に於いては同等なる制約である。これらの制約の種々相を超克して、適当なる極小条件をもって、実数を規定し得ることを、我々は最後に指摘する。整数に関する第二公理における不可分性も、畢竟ひとつの極小条件であったことが、興味をもって回顧せられるのである。

複素数は、解析学では重要であるけれども、それは多元数の特殊の一例で、おのづから別個の思想権に属するものとして、本書ではそれを述べない。
我々は、いわゆる数学基礎論に触れなかった。問題は、整数の理論の無矛盾性の証明である。無矛盾性の証明、「そんなことができるものか」(So was kann man ja nicht.)と、ランダウは勇敢に言い放つ(出所上掲)。我々は謙虚な態度で、そんなことのできるのを待っている。それができた上で、どんなものができたかゆっくり検討することにしても、遅くはあるまい、と思っているのである。

(1949, 1, 7)

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